しろいるか&恐竜の創作ほりっく

ものづくりのとりこである筆者が、しろいるかや恐竜になりすまして創作活動に勤しむブログです。小説、4コマ漫画、ぬいぐるみ制作ほか、なんでも挑戦します。

064:プロメアネタバレ考察という、完全なる私信

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完全な私信ですみません

 読者さん、プロメア見てない方の方が多いだろうに…すみません。非プロメア勢はスルーしてください。ノーリアクションでOKです。でも、私の中でどうしても創作のカテゴリに入る内容なので、ここに載せさせてください。せめてものアレで、読者さんに通知がいかないようにしました。ごめんなさいね。

 プロメアのネタバレありなので、見てない方、くれぐれもスルーでお願いします。もし地上波とかDVDとかで見るときに、後悔させたくないので。お熱いのがお好きな方は、ネタバレなしの状態で、一度、見てみてくださいね。

記事作成の経緯

  • プロメアにハマりまくってしまってtwitterを徘徊していた
  • twitterで熱い、熱すぎる考察(論文)をあげている人がいて、感化されてしまった
  • 読んだぜ! ということを伝えたくて、結局、感想文を書いてしまった

考察本編(以下ネタバレの権化)

 考察なのか雑記なのか、もはや分かりませんが。本記事は、以下のぺちさんの記事、及び関連記事へのリプライがわり、という位置づけです。

fusetter.com

 ぺちさんの熱い、熱すぎる文章を見ていたら、なんだか自分もプロメアについて書きたくなりました。深い考察の端々に、ほとばしる熱とか知性とか思いとか、そういうものが見て取れました。

 ただ、きっかけはぺちさんだけれども、議論や討論したいという気持ちではないです(プロメア談義はめちゃくちゃしたい)。ペチさんの記事を読んでいて、たくさん刺激を受けた私の脳の表面のあたりに、いろいろな思いが浮かんできています。それを整理しているうちに、なんか出力できそうな感じになったので書きました、という感じです。しょせんは素人の妄想だと思って、生ぬるい目で見ていただけると幸いです。

 

 主に、

プロメアというフィルムに対して、そのラストが「バーニッシュと非バーニッシュの間に差異を生み出していたプロメアが消失する」という結末なのは、結局のところ「同化」を肯定しているのではないかというご意見やご批評があるということ

 という問題をきっかけに、いろいろ思ったよ、という話になります。

 

 まず、上記については、「なるほど、そういう見方もあるんだなあ」というのが率直な感想です。興味がわいたので、そういう主張を探して、ちょこっと拝読しました。読む前に、「多分こんな批評なのかな」とまず予想。

 

「差別のまさに火種になった“バーニッシュ”の能力が消えるってオチ、ちょっと待った! じゃあ何かワレ、マイノリティがマジョリティとよろしくやってくためには、マイノリティ側が個性を捨てるとかの損を許容せんといかんのかい。ほんならやっぱりマジョリティが偉いんやんけ、ないわ、贔屓やわ」

 

 読んでみた感じでは、大きくは外れていなかったと思います(もちろん、ぺちさんの記事でふわっと予習してたから、というのもある)。強いて言えば、上記に加えて、

 

「構想から「差別」をストーリーに入れることが決まってて、オチが同化(マイノリティ側の妥協)なのかよ! マイノリティが我慢すれば万事解決! ってことを描くんなら、差別をテーマに据えるなよな!」

 

 という方向性だったのかな、と理解しました。この主張に対しては、上述のとおり、「なるほどな」が感想であって、あまり強い主張はないです。確かに、そう取れる余地、あるよな、という気持ちです。

 ただ、オチに対する個人的な私見をもう少し述べておくと、オチに「同化とも取れる」要素があったという点は、個人的には気にならなかったですね。どっちかと言うと、自分はマジョリティ側の目線で見てたのかなあ(ぺちさんも言うように、私もまたそういう意見を否定したいんじゃない。感想はひとそれぞれ。だから楽しいんであってね)。

 

 で、さらにここから、“同化”は制作サイドが描きたかったこととは違うんじゃないかなあという解釈を私はしている、というお話が始まります。

 

 こう思う理由を以下で説明していきます。素人なりに、ストーリーテリングの観点で考えてみた、という内容になってます。

 

 私はストーリーテリングを愛しているので、とにかくその観点から考えるのだけど、バーニッシュが最終的に炎を失ったのは、作劇上の都合だと思っています(バシッと言い切る)。ここは、ぺちさんのスタンスに近い部分がありそうだ。

 思うに、作者様たちが最終的にオチとして描きたい見せ場(の“ひとつ”、と言っておく。少なくとも、おおきな“ひとつ”だ)が、

 

 「一惑星完全燃焼ゥ!!」というサイコーにかっこいいセリフ!!
→「燃えて、消す!!」
→「燃えて、消えて、青く美しい地球の画がドーン!!」

 

 これだったと思うんですよね。

 少し逸れますが、私は、物語というのは、最終的なゴールから逆算されて作られているものだと信じてます。それが、緻密な物語であればあるほど、その傾向は強いと考えている。じゃないと、全部のラインが見事に収束するなんてありえないから。収束した姿から逆算してるはずだ。

 プロメア見てても思うんです。絡み合った糸が、最後にはそれぞれ解決して、あんなにスッキリ収束してる。しかも、ガワは派手派手アクション系なのにね。ビジュアルの方も、思いっきり映えるようにアクションに重きを置いて展開させながら。順序よく、効率よく、手際よく、描くべき関係性を描いていく。そんなの、オチがバシッと決まっていなければ、逆算でなければ、構成しえないだろ、と思うのですよね。

 そんなわけで、この「完全燃焼」というオチを目指すんだ、というのを固めた後、遡ってストーリーを固めていく、という流れだと私は理解してます。そうすると、必然的に、話の筋は「不完全燃焼を燃やし尽くして完全燃焼するオチ」になるわけだ。そこから、「じゃあ不完全燃焼ってなに? どうやって分かるの? そのためのフラグは? (リオが一旦捕まってプロメアと繋がる、とか、プロメアの存在を誰かに語らせる、とか、遡って必要なフラグを消化していくイメージですね。)

 しかし、「不完全燃焼を燃やし尽くして完全燃焼する話」と「プロメアの力が最終的に残存する」という事象は、非情に相性が悪いと思うんですよね。簡単に言えば分かりにくい。見ている人が、「いやいや、完全に燃焼してないじゃん。問題解決してないじゃん。差別続くじゃん」と思うのでは? という点が問題になってくる。そういう意味で、制作サイド的には、「消えましたよ、がベストなんじゃないですか?」という、シンプルな発想だったのかなー、なんて予想してます。

※ +αで、「プロメアの力が消える」ということに、どのくらいの意味を持たせようと製作者サイドが思ったのかは、私の考えが及ぶところではありませんでした。同化、とも取れることを許容していたのか。それを超える何かを描きたかったのか。今のところ、私としてはあまり明確な答えがないです。

 

 さて、ストーリーテリングの教科書などでよく言われることですが、ストーリーというものは、「日常から始まり、非日常を冒険して、日常に戻って終了」という法則(ひとつの型)があります。そういう意味で、プロメアがこの型に沿ってストーリーの王道を征くには、

  • 最初は、現実に立脚した世界を描く(満員電車のあたり。ここはまだ普通の世界ですよ、を描く)
  • 「プロメアのちから」によって、信じられないようなことが起き、世界は非現実にいざなわれる
  • 最終的に「プロメアのちから」は失われ、世界は現実に戻る

というプロセスを経るのが、もっともスタンダードな形だと思います。まあ、これは完全にストーリーテリングだけの観点ですし、プロメアの話の核を語れているか、真芯を捉えているか、あまり自信がないのですけどね。

 

 ストーリーテリングの観点で、もうひとつ。「『同化』を肯定」を(暗にでも)描きたいのであれば、もっと、「同化してよかったで」というのを描けたんじゃないか? という点。

 

 ごくシンプルに言えば、

  • 同化していない
  • (プロメアの力がなくなって)同化した
  • ハッピー

 の流れを描く、とかね。

 もし、ストーリーそういうニュアンス・要素があれば、「同化肯定派か? ああん?」というセンサーが、もっと反応してもおかしくなかったかも(多分、しなかっただろうけど)。

 でも、プロメアは「炎がなくなって分かり合えたぜ」という切り口の描かれ方は、されていないように見えた。どっちかというと、「なんやかんやあって分かり合えたぜ、でも、それとは別の話だけど、プロメアのちからは消えたぜ」くらいのニュアンスなのかなと思う。


※ ここからは「『同化してよかったで』というのをもっと明確に描くにはどうしたらいいのか?」という観点の、荒唐無稽なストーリー妄想です。よっぽどでなければ、スルーしてください。

 

 例えば、こういう筋だったらどうだろう。同化を肯定している感じがもっと前に出るんじゃないか? と思います。

 

  • 「普通の人間」とバーニッシュはえげつなくいがみあっている。
  • そんなとき、クレイが無茶するでもなんでもいいけど、世界がもう爆発しそうな状況になる。
  • 「プロメアのちから」を捧げれば、この危機は救える。ただし、その際、バーニッシュはバーニッシュでなくなる。
  • バーニッシュたちの葛藤。世界は救いたいけど、力も失うわけにはいかない。結局、拒否。(拒否理由は、アイデンティティを維持したい、でもいいし、力を失えば、本当に「普通の人間」に滅ぼされると危惧、とかでもいい。理由はなんでもいい。とにかく拒否。これは、それをガロ&リオがそれをひっくり返したときのカタルシスを大きくするための拒否だから、理由は二の次)
  • しかし、リオ ⇔ ガロ は違った。絆が生まれているから、「プロメアのちから」を失っても、お互いが分かり合えることを身をもって知っていた。
  • そんなとき、バーニッシュたちの意識改革が起きる出来事が!(例えば、リオの絶体絶命の危機を、ガロが命を賭して止めた、それを目撃したバーニッシュたちは感動、改心。とか)
  • バーニッシュたちは、ガロの姿に胸を打たれる。地球爆発の危機という、待ったなしの状況にも後押しされ、「ええいままよ」と「普通の人間」たちを信じることを決意。→「プロメアのちから」と引き換えに、リオ&ガロはクレイを止め、地球は救われる。
  • 「普通の人間たち」も、そんな元バーニッシュに感謝し、許す。許し合うって大事ね。分かり合うって素敵ね。他人のために大切なアイデンティティを捨てるなんて泣けるやん、歩み寄るってええやん、妥協もええやん、同化ってええやん、素敵やん。

 

 私の想像力の問題で、意味不明な例になったけども、こういう描き方なら「同化目指してるやんけ!!! 同化肯定派か!!!」という空気になるように思います。バーニッシュたちが、やむにやまれず、力を捨てることを強要されている形なので。

 

 実際は「同化しようと思って」行動したキャラはいないように思うし、リオも、「あっ、消えるんや。そうきたか」みたいなリアクション。例えて言うなら、プロメアの消え方って、幽霊が満足して成仏していった感じにも似てたんだよなあ。

 さらに、マイノリティが、「マジョリティの社会にお邪魔しまーす」のためにプロメアの力を捨てる、という選択肢も、結局のところ、用意されていなかったですしね。(ガロは一度そういう問いかけをしているにはしているけど、「炎はクレイ並の精神じゃないと抑えられない」がルールだから、リオですら止められない)

 

 ひどく長くなりました。まとめますと、

 

  • オチ及びそこから逆算されるストーリーの関係上、プロメアのちからは消える方が流れとして望ましかった。
  • 「同化」を描こうという意図は多分なかった、なぜなら、「炎を捨てたから許してちょ、仲間に入れてーや」「ええで」というような、同化を積極的に肯定する
    流れを作ろうという意図が見て取れなかったから。
  • ただ、「差別問題をテーマに据えるとき、『同化と取れる』オチになっちゃうのはいかがなものか」という意見は「なるほどな」。そして、それ以上の深い理由があったのでは、という、ぺちさんの“宿業”理論の考察については、「おお、それは深い、深すぎる考察ッ……!!」と唸った次第。

 宿業……だったかも、しれないよなあ……。そうだよなあ。もう一回、頭から読もう……。

 

 最後になりますが、「炎のあるなしなんて実は関係なかった。互いにいいヤツだって分かったから仲直りしようぜ」「ええで」=相互理解 というのがソリューションだったわけで、そこがとってもプロメア的(ガロ的)だったなーと、しみじみ思います。製作者サイドが描きたかったのは、結局そこなんだろうなあ。なんて面白い映画を世に放ってしまったんだ。もう一回だけ、映画館で見たい。

 

 ぺちさん、素晴らしい考察をどうもありがとうございました。一連の論文の群れは、はっきり言って、感動さえ覚えるものでした。ちょっぴり敗北感的なものも感じましたし、それの100倍くらいのリスペクトも湧きました。これを140字刻みで表現するのは無理だったのです。

 いつか私がストーリーを考えて世間に放つときには、ぺちさんにツッコミやダメ出しを依頼したいな、と思うくらいの、とってもとってもリスペクトでした(私はまだ、その水準にないですし、ペチさんを魅せられるようなシナリオを書ける気が、今のところ、毛ほどもしないのですけどね)。

 ともあれ、楽しい文章、どうもありがとうございました。