しろいるか&恐竜の創作ほりっく

ものづくりのとりこである筆者が、しろいるかや恐竜になりすまして創作活動に勤しむブログです。小説、4コマ漫画、ぬいぐるみ制作ほか、なんでも挑戦します。

020:執筆するとき「批判力」をどのくらい発揮しながら書くべきなのか?

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自分の創作物への批判力

 こんばんは。創作の畑に片足を突っ込んでいる「しろいるか」と申します。

 掲題の、「批判力~」という問題、もう少し一般化するなら「執筆活動における質 or 量どっちが大事?」という問題について、面白い記事をみつけました。自分でも考えを整理したくなったので、簡単に記載します。以下、その記事へのリンクです。

 

「下手に書け」橋本忍氏の脚本観について - チャンネルF

 

 失礼ながら、言外にあるニュアンスや意図・文章の旨味などをまるっと割愛させていただき(本当に失礼)、概要を私なりに解釈すると、以下のような感じかなと思います。

  • 脚本家の橋本忍さんのお考えでは、創作にあたっての心構えとして、「シナリオは下手に楽に書け」というものがある。作品が一応の形になるまでは、一旦、作品への「批判力」は「あえてゼロ」にして書き切ってしまうべき。その後、ゆっくりと「批判力」を使って一つ一つ直していくのがよい。
  • 記事の筆者の星谷さんは、橋本さんのご意見を「この指摘は脚本にかぎらず、創作を志したことがある人なら響くところがあったろう」と肯定的に受け止めた上で、本当にそうだろうか? という考察をしている。
  • 星谷さんの経験上、質を無視して無理矢理に進めた作品はモノになりにくい、とのお考え。作品づくりにつまずくときは、まさにその付近に「本質的な不備」が潜んでおり、「つまずくこと=その不備を解決する糸口」である。ゆえに、そこでこそ「批判力」を駆使することが必要なのでは。

※ 詳細なニュアンスを正しく掴みたいぞ、という方は、ぜひリンク先の読みやすい文章の方をご参照ください。

 

 記事を読んでいくにあたって、もう、グザグサと来る箇所が多すぎて多すぎて、アイタタタ……! というのが正直な感想です。

 私も、下手くそながら、30~40万字くらいは、小説を書いた経験があります。文庫本で言うと、3冊? くらいの文量です。それで、ひとつの作品を完成に至らせることが出来ず、絶賛挫折中、というのが現在のステータスです(恥ずかしすぎる)。なので、作品をゴールまで形にすることの難しさは、自分なりに理解しているつもりです。

 ですので、「批判力を一旦ゼロまで下げて、いいからどんどん書け! 批判してたら前に進まねーぞ!」というご意見には、首がもげるほど頷きたい気持ちである、というのが、私の基本的なスタンスです。

 一方で、星谷さんの意見にも、ものすごく共感します。同じ目線で語るのは失礼でしょうが、正直「似たことを感じる人っているんだなあ」とまで思いました。

 読んでいて、「あるある!」と叫んだのですが、小説やシナリオを書いていて、筆が止まるときって、あるんですよね。 筆が、本当にビタッ! と止まるのです。急停止。前の日に5000字、10000字と書けていたはずの物語が、その続きが、ビタッと書けなくなる。0文字です。初めてその現象と出会ったときには、笑えてきました。脳がバグったのかと思った。

 星谷さんと重なる意見なのですが、その原因がまさに、「潜在的な不備不足・問題点が潜んでいるから」筆が止まる、ということだったのだ、と、散々あがいた結果、結論づけました。潜んでいる、なんて大げさな! と思うかもしれませんが、本当に潜んでます。違和感さえ感じないレベルの潜み方をしてました。なので、ちょっと頭を捻ったくらいでは気がつきませんでした。

 私の場合、そこからしばらく悩んだり、書き直したりしてあがきました。それでも全然ダメ。作品とちょっと距離を置いて、外をブラブラと散歩していたら「ジャジャーン!」と気づいたのです。

ストーリーの流れが、自分的には致命的なレベルで気に食わない感じに、いつの間にか、なってしまっていた。なぜかよく分からないが、気づいたらそうなっていた! そうか、自分はそこが気に食わなかったのだな!

……ということです。その感じが、半ば無意識に「なんかやだ」「気になる」「書きたくない」という違和感になって発現したのが、上述の「ビタッ!」現象の正体だったのだろう、と考えています。

 これに気がついたときのアハ体験っぷりは凄まじかったです。「そんなん、すぐ気づけや!」とツッコんだ方、違うんです。相手は潜んでいるんですよ。本当に。

 その後、ストーリーの筋をきちんと整理し直して、また書けるようになって一安心した、というのが顛末です。(その後、その小説はダイナミックに頓挫して爆散するのですが、それはまた別のお話。)

 

やや無理矢理なまとめ

 一応の完成まで書き切るのは、本当に難しいです。小説で言うと、私の感覚では、アマ作家の10%とか、もしかしたらそれ以下の人しか、到達しない領域なんじゃないかなと思います(一定のクオリティを前提として)。それくらいに、書ききるのは難しいです。

 逆に、「ケツまで到達できる優秀な作家」であれば、上記の論争は、「批判力をどのタイミングで使うか」という課題と、ほぼ同じだという見方もできるかもしれません。書ききってからゆっくりと発揮するのか、書きながら随時発揮しつつ進めていくのか、の違いである、という考えですね。どちらの方法でも、「批判力」の効果は、期待できるのでは? と思います。

 ただ、上述の「作品の問題点に感じる違和感」を解決しないまま進んで、最後に直す、となると、ちゃぶ台のひっくり返し具合が半端じゃない感じのテコ入れが必要になるかもしれないです。なんとなく想像がつきます。「テコ入れ or 爆散」というような規模感の修正が待ち受けてそう。怖い。当然ながら、「批判力をゼロ」ということには、もちろんリスクもあるのでしょうね。……という、無難な着地点を示して、本日のブログを終わりたいと思います。

 ちなみに、星谷さんの記事で良いと思ったのは、経験に基づいて考えている点です。私の宿題として、「批判力ゼロ」「批判力あり」の両方の方法で作品を完成させてから、再度、どっちがどうなのかを考えてみることが必要だと思います。(長編小説の完成に何度も失敗している経験があるからこそ、「批判力ゼロ」の手法に過剰に惹かれているのではないか、という自己批判を、全く否定できません。)

 私は何を言っているんでしょうか。おやすみなさい。